【武田康廣】(インタビュー日時:2003年4月)
「エヴァンゲリオン」の商品化窓口を最初に担当していた代理店は、キャラクターの商品化権を特定メーカー1社に独占させる方針でしたが、なんとか独占だけはやめてくれと頼みました。
僕と当時「エヴァンゲリオン」の広報を担当していた佐藤の頭にあったのは、自分たちがガレージキットをやっていたときの体験です。そのとき、どこかのメーカーに権利を独占され て、商品化を許諾してもらえないことほど悔しいものはなかっ た。「俺たちだってつくりてえよ」と感じるわけです(笑)。ガレージキットの世界には、きちんと許諾をもらって合法の土俵にさえ上がれば、「俺がいちばんいいモノをつくってやる」という精神があります。しかし権利が独占されていると、その土俵に上がることができなくなる。 せっかく良い商品を出そうとしてくれる人がいても、表に出てこられなくなってしまう。そうした状況は 許諾を与える側も充分に考慮するべきことだし、なによりも市場にとって大きな影響があると思います。もちろん、商品化権を独占させることでビジネスがうまく回転する作品もあるでしょう。
でも「エヴァンゲリオン」はそうではないという確信があった し、大勢の人の手で、いろんな解釈で作品世界をいっしょに練り 上げてもらいたかった。だから独占に反発したんです。
ただ、そのあたりはなかなかわかってもらえなかったですね。交渉のときには、ケンカめいた大人気ないやりとりまでありました(笑)。
とにかく権利はオープンにしてくれ、市場の監視は全部こちら でするから、とお願いしました。このことは、人によっては「権利の囲い込みだ」と悪口も言われたが、これは本当に正解だったと思います。現在のキャラクタービジネス全体の活性化にも貢献したと自負しています。【38】
【摩砂雪】(インタビュー日時:2003年6月)
これ言ってもいいのか どうかわかりませんけど、面白かったのは、庵野が女性を口説くやり方。いつも「俺はナウシカの巨神兵を描いた人間だ」ってアピ ールしてたんですよ。そうすると女の子がみんな「わあっ、そうなの」と寄ってくるわけ(笑)。あれには「わあ、すげえな巨神兵。 ナウシカは偉大だなあ」と思い知りました。【103】
ガイナックスの作品としては、「トップ」と「ナディア」をやっているんですけど、最初は「トップ」ってバカにして いたんですよ。「トップガン」と「エースをねらえ!」を足したような話って、「なんじゃそりゃあ!」と(笑)。それでも見てみる と、第2話がそれなりに出来が良くて「まあ、こんなもんだろうな」と思ってました。そうしたら3話、4話でけっこうすごいことになってたんですよ。そう驚いていたら、自分にも手伝ってくれという話が来たんです。それで現場に行ったら、渡されたのが 第5話の職員室のシーンでした。
ほかの会社に行くと、どこでも俺は、いちばん初めに派手なメ カシーンを渡されるんです。事実、ラブコメの「オレンジロー ド」でさえもメカシーンを渡されましたから。メカとか派手なア クションとか、ジェットコースターを描けとかさ(笑)。俺はかわ いい女の子がちゃんと演技しているところを、ちょこっと描いて みたかったのに。「いつもとは違う演技を描いてみたい」ってい う感覚ってあるじゃないですか。
そうしたら、庵野がそこをちゃんとわかってくれてたんです よ。だから「トップ」に参加した自分に、「おまえはこういう人 間芝居を描きたいんだろう」と、職員室のシーンを渡してくれた んです。あのときはうれしかったですよ。最初に「トップ」を手 伝ってくれと言われたときも、「でもメカとかそういうのはやだ よ」って感じだったんですよ。なんか、”コレもん”ばっかり求 められてもねぇ。【104】
あの頃はもっと日常の芝居をやってみたかった。だから「トップ」の仕事は面白かったし、参加してよかったと思っています。 それで「トップ」が終わったときに「もしまたおまえが監督でやるなら、今度は俺にも演出をやらせてくれ」って、庵野に言っといたんですよ。それが実現したのが「ナディア」です。「ナディア」ではコンテをけっこう描か せてもらって、演出は確か2回やったのかな。それでやっぱり、 仕事としてかなりいい思いができたんですよ。終わったときに、 この作品を盛り上げてよかったなと思いましたから。
そのとき庵野に「こういうノリの作品をもう1回、あと何年後 かにやるから、そのときはよろしくね」と言われて、 またガイナ の外に出てうろうろした。 そして帰ってきてやることになった “こういうノリの作品”というのが、「エヴァンゲリオン」でした。【105】
「エヴァ」の企画がホントに面白くてね、そのちょっと前の仕事 から早く逃げだしたくて、「もうとにかく『エヴァ』を早く動か してくれ!」ってせかしたこともあったけどね(笑)。
そうしたら「だったら1、2話(第壱話「使徒、襲来」、第弐話 「見知らぬ、天井」)のコンテを描いてみるか」という話がすぐ返って来ちゃった。
しかし本当のことを言うと、実は「エヴァ」も当初は、いちば ん初めに「巨大ロボット」モノだと聞いて「あんまり興味ねえな あ」と思っていたんですよ。しかし「要塞都市があって、必ずそ こを攻めてくる敵から防衛する」というシノプシスをみて、面白 そうな設定だなと食指が動いたんです。あまりこういう設定は、 当時のほかの作品では見たことがないじゃないですか。要は「マ ジンガーZ』 に出てくる光子力研究所の設定を、さらに大規模にしたものなんですけど、それならちょっと作品を見てみたい。「だったらやるわ」と言って参加したんです。でも、あんまり防衛していませんでしたね、あの都市。ぜんぜん機能してなか ったよね……(笑)。【106】
でも「強羅防衛線突破されました」とか言って、戦況報告だけで 済ましてますよね。「おまえらいつ、どこを防衛してんだよ、全 然戦闘シーンねえじゃん」ってね(笑)。だから自分が演出した第 拾九話「男の戦い」)のときに、「必ず天井ミサイルを打つシー ンを入れるからね」と庵野に断言して、ネジ込みましたからね (笑)。【106】
「エヴァ」でまず要求されたのは、とにかく無駄なつなぎのカットをなくしていくことでした。そこから始まったんですよ。よくある、「ここはこういうところです」という場面説明の画とか、人物が移動するときの「ここからここまで場所が移りました」という経過の描写とか、そういうものはある程度最初の話数できちんと作品の世界を見せておけば、後は最小限に抑えられる。そうした無駄なものを省いていけば、テンポよくいろんな話を詰め込んでいけると。あとは「アングルには凝って くれ」と言われました。最初の頃は昔の円谷作品、『ウルトラセブン」や「帰りマン』、 あと『怪奇大作戦』 とかを参考に見せられましたよ。実相 寺昭雄監督の作品は画づくりがけっこう凝っていますからね。【107】
エヴァの立ち上げには、やはりそれなりの時間はかけてます。コンテ作業を始めてから1話と2話が完成するまで1 年以上は使ったんじゃないのかな?【107】
インタビュアー:たとえば第拾九話「男の戦い」には、使徒ゼルエルにエヴァンゲリオン初号機の攻撃が命中し、絶妙のタイミングで血がバッと 噴き出す。そしてその血が透明のATフィールドに「バシャッ」 とかかる、というカットが登場しますが、よくもまあ、あんなカ ッコいい画を思いつくものだと感じます。
魔砂雪:ああいうのはまあ(笑)。仕事中、スタッフの間で、酒を飲んで バカ話をしたりすることが多いんですよ。で、そういうところで 「こんなのどう?」って冗談半分で言ってると、そのアイディア を本当に庵野が、脚本に書き込んでいたりするんですよね(笑)。 俺なんか酒の席で言ったことが、けっこう、採用されてしまっ て、自分の持ちネタが全部「エヴァ」に使われてしまった。「これじゃ、俺がオリジナルつくるネタ、残ってねえじゃん!」と思いましたよ(笑)。ガイナって開けた環境というか、すごい下っ端 がなんか変なことを言っても、「それが面白いアイディアだったら採用される」という風潮があったんです。ほんとね、すぐ採用されるんです。 ちょいと言ったことが、次の日にコンテ用の脚本として上がってきたりしましたから。【108】
エヴァはあの当時1本1000万円でつくっていた 。 そんなにほかのアニメほどはかかってないはずです。段取り芝居を省いて、コンテも考えて切っているので、作画枚数はそれほどないんですよ。【109】
「エヴァ」ではね、編集の実作業そのものまで自分たちでやりました。はじめの頃はちゃんとフィルム編集の担当の方がついてくださっていたんですが、「エヴァ」で俺たちがやろうとしていることに付き合わせると、その方に、一日十何時間も労働させるこ とになってしまうんです。それじゃあ、申し訳ないということも あって、だから「自分たちにフィルム編集のやり方を教えてください」と頼み込んだんです。つまりネガ編への指示の出し方とかとスプライスなどのポジ編集の実務を御教授頂いて、編集作業を自分たちでやってしまったんですよ。「エヴァ」の最後のほうは もう鶴巻と俺と庵野で、入れ替わり立ち代わり編集室に詰めてフ ィルムをつないでいましたからね。そうそう、当時ガイナックス にはポジ編集のできる機材が3組もあったんですよ。普通のスタ ジオではあんまり見なくなってきてるような機材を、あちこちか らかき集めて、会社の一部屋を編集室にしてしまった(笑)。
今だとそういう作業もみなデジタルで行いますから、ずいぶん 楽になっています。画が足りなければ伸ばせますし、昔だったら 動画枚数を増やして再撮 (再撮影) しなきゃいけなかったもので もデジタルで処理してしまえるようになっていますから。【117】
庵野がアマチュアのときに監督した「帰ってきたウルトラマン」を観て、本当に悔しかったんですよ。「なんでこいつらは、 こんな面白いことができるんだろう」と思った。片やこっちはプロとして、テレビ作品だから予算はどうこうと言われながら仕事をしていた。予算がないところで、枚数が使えない中で、自分の 作画が目立つためにはどうすればいいんだろうと考えて、コマ撮 変化させて、パースをつけて、変わった画を描く”コレもん”のアニメーターになっていた。でもあの連中は正攻法で面白いことをやっていました。それが悔しかったんですよ。【122】
【貞本義行】(インタビュー日時:2003年5月)
庵野監督に「ここはどういうことなの」と訊いても、「どういう ことなんだろうね」といつもはぐらかされて終わっちゃう(笑)。 「エヴァンゲリオン」制作の当時、庵野監督は本当にライブ感覚 でアニメをつくっていました。ストーリーも描きたいけど、ヴィ ジュアルも描きたい。そのヴィジュアルのためにねじまげなきゃ いけないストーリーを、あの作品ではわりと自由に解釈できるよ うに、わざと曖昧にしてあるんですよ、たぶん。それこそが「エ ヴァンゲリオン」のいいところなんだと思います。違う言い方をすれば、意味を固定していない。見ている人が幅を持って受けと められるように、描きすぎていない。【128】
漫画版エヴァの最たる部分は、設定年齢というか、対象年齢を下げてしまおうと。「『少年エース』という、頭に少年とつく雑誌に連載される以上、子供でも読めるものにしたい」という気負いが最初にあったんです。 「エヴァンゲリオン」にはちょっとどぎつい部分と いうか、大人だったら楽しめるけどという、わりと流行りを狙った部分がありますよね。たとえば宗教っぽいところであるとか。 そういう部分はソフトにやっているつもりです。いや、ソフトというか、「あまりそっちの方向には持っていきたくない」とまたいでしまっていますね。【128】
僕の漫画は、「じゃあこのシンジの立場に自分がいたら、どう行動するだろう」と考えながら進めているんですよ。つまり「エ ヴァンゲリオン」の世界観の中で、シンジと自分を置き換えてや っていく作業になります。だから、難しい言葉を使ったりする場 面は出てこないんですよ。【130】
「王立」という作品は、最終的にはバンダイが スポンサーについて何億円もお金をかけた、すごく立派な劇場映画になってしまいましたけど、僕が最初に話を聞いたときは「2000万円くらいでオリジナルビデオをつくろう」という企画だったんです。【148】
インタビュアー:庵野さんや鶴巻さんはそんなに 「美少女戦士セーラームーン」にハマっていたのですか。
貞本:いや、すごかったですよ。当時はまだ「エヴァ」のキャラクタ ーデザインをやっていた段階ですけど、あの頃、会社の僕の机と庵野さんの机の間に万年床が敷かれていて、ずっと庵野さんがそこで寝泊まりしていました。ていうか、いつも寝ていたんですけ ど(笑)。で「セーラームーン」が始まると、ムクっと起き上がって、テレビをつけてじーっと観ているんです。こっちはセリフだけしか聞こえてきませんから、ストーリーはよくわからない。変身して、必殺技の名前を連呼する場面がありますよね。そこだけのぞき込んで観るんですけど、それだと「セーラームーン」のなにがいいのかわからない。ただ「これは大人から見てもある意味エロスだ」と思って、「エロスとしていいね」と言うと、いっしょに観ていた鶴巻が「違いますよ!」と怒るんです(笑)。じゃあ 「誰がいいの?」って聞くと「そういうんじゃなくて」と。でも 「やっぱり亜美ちゃん(水野亜美)がいいの?」と聞くと「いや この子は」とエピソードをいろいろと教えてくれるんですよ。た ぶん鶴巻は「萌え」がわかってるんだろうな。僕はその辺が今ひとつよくわかってないみたいですね。
鶴巻が言うには、「セーラームーン」という作品は、シリーズディレクターの佐藤順一さんがつくりだした世界の裏読みが、す ごく魅力的だったそうですね。それで「エヴァンゲリオン」でも 佐藤さんにコンテを描いてもらいました。甚目喜一さんというペ ンネームで参加してもらってます。よかったのは、こちらが作品 についていろいろ突っ込んで話をしていくと、相手も同類だと思 って乗ってくれて、こちらの仕事も手伝ってくれるじゃないです か。その横のつながりって、すごく大切だなと実感しました。佐 藤さんや、作画監督の長谷川眞也さんのように「セーラームーン」のスタッフに参加してもらったことは「エヴァ」にとって大きいことでしたから。【153】
庵野さんの場合、そのキャラクターを演じ る声優さんの性格だとか、過去のエピソードをライブ感覚でスト ーリーの中に入れこんでいったりするんですよ。 血液型だとか誕 生日だとかも聞き出して、作品が進む中、脚本で追いかけてそれを反映させていく。【156】
たとえば「エヴァ」のミサトの服は、街で見かけた、男物のライダースーツみた いな服を上に着て、それでスカートをはいてた女の子が参考にな っているんです。スカートをはいている以上、その人は絶対バイクには乗ってないはずですけど、それなのに首からゴーグルを下げていた。こういう女性はいいなと思いました。だからミサトの 服って、実はオートバイ用のものが原型なんです。ただ男ものをそのままだとカッコ悪いところもあるので、そこを考えていじっ ていって、あの形になりました。【159】
【大月俊倫】(インタビュー日時:2004年6月)
「エヴァンゲリオン」の制作当時、庵野監督が大月氏のアパート に月に一度はやってきて泊まり、朝ふたりで中野ブロードウェイ のグッズショップやLD屋を冷やかしてから、それぞれに出社し たという。【164】
(製作委員会方式について)このような作品 は、実は日本のアニメーション史上初といえるものだった。
大月氏が「エヴァンゲリオン」で放送局などの 意見を排除するスキームを採用した理由が、利益追求の手段ではなく「自分が惚れこんだ庵野秀明という才能が、思う存分に腕をふるえる場をつくるため」であったことだ。 大月氏は「エヴァ」 の制作当時、庵野監督に「私が少しでも雑音に気を遣い、作品に 介入しようとしたら、すぐ私を切ってくれ」と申し入れ、あくま でも作品を守るという立場を鮮明に貫いたという。【165】
庵野さんに、僕がまずかなり最初の段階で「大月、もし1回でも、キングはとか、会社としてはとか、俺の前で口に出したら、その場で作業はすべて中断する」と言われたんですよ。それだけは約束してくれと。要するに僕個人としての発言であれば聞くが、キングがとか、会社はとか、組織の事情で発言した瞬間に庵野さんは僕に対する信頼をなくすので、 もう作業はできなくなる。だから、そこでやめるしかなくなると。彼に言われたこの言葉は、僕にとっていまだに座右の銘です。【167】
来年からは庵野さんと特撮作品をつくろうと、ふたりで企画を進めています。【168】
庵野さんはあの頃(エヴァが大ヒットしていた頃)がいちばん暗かったからね。僕は庵野さんの才能と人柄を狂信しちゃっていたから、その庵野さんが暗くて、苦しんでいる状況で自分が楽しいわけないよ。 「エヴァ」が話題になればなるほど、庵野さんはどんどん暗くなっていくから、僕もいっしょに暗くなっていった。世間的に「エヴァ」が盛りあがった当時が、ふたりにとっていちばんつらい時期だったですよ。思い返すと、つらい思い出しかないもんね。【172】
今、特撮作品をふたりでつくろうと盛り上がっています。庵野さんもすごいやる気なんですよ。うれしいですよね。【178】
【佐藤裕紀】(インタビュー日時:「ワンダフルデイズ」封切の日)
庵野氏はカレカノのために各地の学校を行脚して高校生の気持ちを取材したという。【181】
【大塚雅彦】(インタビュー日時:2004年6月)
庵野さんは作品をつくることがすべてなんです。「生きることが作品をつ くること」と言いますか。実際にほとんど会社に住んでいましたし、本当にもうプライベートがない感じで、寝て起きたら仕事を 始めて、終わったら寝るみたいな。あれほどまでに作品にのめり 込めるのはすごいですよ。 高畑勲さんや宮崎駿さんも、すごい質と量の仕事をこなしてしまうんですけど、「エヴァンゲリオン」 をやっているときの庵野さんは、本当に自分のすべてのエネルギーを作品に投入しているという感じでした。【223】
【樋口真嗣】(インタビュー日時:2004年11月)
当時撮影所のアルバイトをして84ゴジラの現場に関わったが、DAICONFILMの作品、特に「DAICONFILM版 帰ってきたウルトラマン」なんかを観ると、明らかにそちらのほうが画づくりに対する、正しい取り組みと工夫を感じる。「本物ではないものを使って、どのように本物に見せるか」という意志が伝わってきた。あの頃、プロの現場にいて、「大阪の学生でもこれだけやってんのに、大の大人が集まってこの体たらくはなんだ」と感じて、やっぱりがっかりしてきたんですね。いろいろなことを考えましたけど、正直なところ、そこまでしてプロの撮影現場にしがみつきたいという気持ちをかなり失ってしまった。【248】
「いっか、もう……」と。ということで撮影所のアルバ イトを辞めてしまったんです。 で、どうしようかと考えたとき に、なぜかあのメガネのもじゃもじゃ頭の人を思い出しまして (笑)、「大阪は楽しそうだなぁ」と考えたんですよ。それでとに かく大阪のDAICONFILMに遊びに行かせてもらおうと、 庵野さんに電話してみたんです。庵野さんは「もうちょいで仕事も終わるっス」みたいなことを言ってくれたので、その場で「じゃあ、いついつ行きましょう」と予定を決めた。それでいざ、そ の当日に庵野さんのところに行ってみたら「メガゾーン23 かなにかの仕事をやっていて、「ちょっと待ってて」と言われま した。それで〝ちょっと”待ってたら、そのまま二晩待つことに なった……………。今にして思うと「あの当時からそれか!」みたいな (笑)。(←このエピソードめっちゃ草)
桜台にあったグラビトンというスタジオだったんですけど、そ この押し入れで二晩寝て待ちました。 それから「じゃあ、終わっ たから行こうか」と、庵野さんとふたりで大阪に向かったんですよ。【249】
実は「トップをねらえ!」の企画段階では、ずっと俺が監督候補として準備を進めてたんですよ。あの作品はガイナックスが王立」でつくった借金の穴埋めのために企画されたもので、基本的に「小松左京SF劇場」とかのラインと同じように、「ブレインワークのみを社内でやって、あとは外注に出して利益をつくる」というスタイルで制作するはずの作品でした。それが嫌だっ たというわけではないんですが、企画がなかなか進まなかったこともあって積極的に取り組めない心境でいたんです。そんなときに実相寺昭雄さんの映画「帝都物語』 に参加しないか、という電話がかかってきたんですよ。【256】
その後、当然ながら「トップをねらえ!」は企画が宙ぶらりんになり、脚本を読んだ庵野秀明さんが監督を引き受けることになった。庵野さんから当時、「帝都物語』のスタッフルームに電話がかかってきて「あれ、僕がやっていい?」と聞かれたんです。それは、俺なんかがどうこう言うことではありませんから、もち ろん了解しました。『トップをねらえ!」は、結局自分が放り投 げたものを、庵野さんがきちんと素晴らしい作品にしてくれまし た。【256】
それともうひとつ、俺はあの頃に別の作品も放り出していたん です。「ナディア」の直前に、ある日中合作の特撮映画に参加し、 その仕事で香港に行っていたんですが、これがまた企画が途中で 二転三転して、スケジュールがどんどん延びて、その結果お金も出なくなって帰国せざるを得なくなった。
そんな形で、俺は2回も続けて、「なにかをつくろうとして、それを途中で放り出す」ということをやってしまったんです。【256】
それがすごく負い目になっていて、とにかく 「なにかつくりたい。 作品として完成したものをつくりたい」と考えていました。そのなにかって、なんでもよかったのかもしれない。だから「ナディア」が始まったときに、庵野さんのところに行って、飲みながら 酔っ払って「庵野さん、ガンダムの『ククルス・ドアンの島』みたいな話をやらせてくださいよ」と頼んだんです。途中の枝葉みたいなエピソードみたいなのでいいから、とにかく1話やらせて もらえればと思っていたんですよね。酒の席で俺がそんなことを話していたのを、きっとあのお方は覚えていたんでしょう。後に その「ククルス・ドアンの島みたいなやつ」がどかっと、10本ぐ らいまとめてやってきた。「やりたいって言ってたでしょ。 やってよ」という感じで(笑)。【257】
(島編をやってるときに)本当に制作中に気絶したことがありますからね。スタジオでラッシュを観ていた時、その仕上がりのひどさに目の前に流れるものを体が受け付けなくなった。【258】
そうしたら鈴木俊二さんたちが「ちょっとくらいなら直せるよ」と言ってカット袋をスーっと持って行ってくれた。マジ泣きです。みんな自分の仕事を抱えてるのに。「ありがとう、ありがとう」というだけでした。【258】
庵野さんが、トップをねらえ!で情熱を注いでいたこだわりのひとつ が、あの、「おっぱい」だったんですよ。ノリコとカズミとユン グという3人の女の子がお風呂に入る場面が出てくるんですけど、 そこの設定書に、庵野さんが指示を書き込んでいた。それがおっぱいなんです(笑)。あのとき庵野さんは熱く「だいたいね。アニ メのおっぱいって、僕はダメだと思うんですよ」と語っていまし た。「アニメのおっぱいって全部同じ形になるじゃないですか。 そんなはずはない、本当は一人ひとりおっぱいの形は違うんです よ!」と(笑)。あれは、さすがに着眼点が違うなと思いました よ。なるほどそりゃ普通は考えないわ。おっぱいか……(笑)。【260】
もう時効だから言いますけど「おたくのビデオ」のドキュメンタリーはヤラセです。って見ればわかりますよね。ありえないよあんなの(笑)【261】
「ウルトラマンパワード」の現場では、当初思い描いてい たものと、すごく違うものを見せられました。しかしそれは明ら かに、普段我々が目にしているハリウッド製の素晴らしい作品 と、地続きのものではあるんですよ。 「すごいものをつくってい るところでも、一歩間違えばこうなってしまうんだ」という事態を目の当たりにして、「こんなのだったら俺たちのほうがマシじゃねえか」と、つくづく感じました。結局、向こうのつくったミ ニチュアを全部我々でつくり直して、もらうお金だけもらって帰ってきました。そこに来た話が、『ガメラ 大怪獣空中決戦』だったんです。【262】
実は最初、「ガメラ」に関して依頼されたのは、画コンテと怪獣デザインだけだったんです。しかし、当時の特撮を取り巻く環 境を考えると、「どうせ描いても出来上がりはひでえもんになるんだろう、それは嫌だなあ」と感じていました。それまでは仕事 に対して、自分から志願したことはなかったんですよね。かかっ てきた電話に対して、どう受けるかということしか考えていなか った。しかしそのとき初めて、自分から電話をかけて「特撮の監 督、誰にも決まってないんだったら、俺にやらせてもらえません か」と頼んだんです。【263】
エヴァの立ち上げ段階で、具体的に俺が働いたというところ はないんですよ。初期の企画会議で、「ピングーみたいなマスコ ットキャラクターっていいよね」と提案したのは覚えていますけ ど。舞台が箱根湯本だとは決まっていたので「箱根といえば箱根園水族館のペンギン。じゃあ、ペンギンがいいんじゃないですか」と発言したんですが、もしかしたら、あのいてもいなくても いいペンギンは、俺のその発言がもとになって生まれたのかも (笑)。でも確かその会議では、ペンギン案は却下されたはずだか ら、また誰かが蒸し返したのかな? わかんないや。【266】
摩砂雪 さんのつくった、庵野さんの結婚式の記録ビデオなんてすごいですよ。1時間ぐらいなんですけど、総カット数は軽く1000以 上あるんじゃないかな。編集だけで半年ぐらいかけていましたか らね。これはもう本当に愛なしではできない。それも性別を超えた、ヒトとしての愛。【266】
【神村靖宏】(インタビュー日時:2004年1月)
「蒼きウル」がとん挫したところで、庵野が自分からテレビシリーズの企画を立ち上げました。これが想定外の大ヒットとなった「新世紀エヴァンゲリオン」です。【312】
パソコン通信では、反応がつくっているそばから聞こえてくる。放映するや否や反応が返ってくるし、会議室では話題がどんどん広がってゆく。「エヴァンゲリオン」は、大きなブームとしてのお客さんの反応を、リアルタイムに受けとめながらつくっていくことになった、最初の作品ではないでしょうか。【317】
エヴァの明朝体を使ったサブタイは神村氏が担当した。【318】
「エヴァ」の制作現場は、当時本当に血を吐くような猛烈なテン ションで作品をつくっていました。「作品をつくる」という行為 は、こんなにも壮絶なことなのかと改めて感じましたね。僕は 「王立」「トップ」 (88)、「ナディア」のときにはガイナックスに いませんでしたから、庵野がこれほど作品に没入するのを間近で 見たのは、アマチュアのとき以来だったんです。【318】
パソコン通信のフォーラムを通しては、負の反応だけではなく、「観て面白かった、ありがとう」という気持ちも、たくさん返ってきたんですよ。作品に、夢を感じてくれる人もいる。 作品のメッセージをよりよく受け止めてくれた感想が届いたりすると、それはこちらにとってもプラスの原動力にすごくなってい ましたね。ある人が寄せてくれた感想を庵野に見せると「この意 見を読んだから、俺は、もう一晩徹夜できる」と言ってくれたこ ともありました。【320】
ガイナックスにおけるゲーム制作を立ち上げたのは、先に言っ たように赤井孝美でした。 赤井のクリエーターとしての発意がもちろん原点ですが、ガイナックスがゲーム制作に取り組んだ理由のひとつに、やはりアニメ作品では権利を持てなかった経緯があると思うんです。作品の権利を持っていないために、いくら一所懸命にアニメをつくって、どれだけの作品がヒットしようともまったく儲からなかった。しかしゲーム作品であれば、つくったものを自分たちで販売して、そのまま自分たちの収益とすることができたんですよ。パソコンゲームならプログラムを組める人間がいて、まめに秋葉原の店なんかを営業してまわる人間がいれば、数人の会社でもゲームメーカーとしてやっていけた。当時、実際に製作から営業まで4~5人でやっているゲームメーカーはけっ こうありましたからね。アニメではできなかった作品制作と収益の一致が、ゲームではその当時の我々でも実現できるのが大きかったと思います。【324】
「エヴァンゲリオン」関連のパソコンソフトということでは、「鋼鉄」の前にアプリケーションデータ集の『コレクターズディスを商品化しています。 これは当時、「エヴァ」の広報を担当していた佐藤の発案でした。 今でこそ良くあるタイプの商品です が、発売時には画期的だった。当時のガイナックスの脆弱なソフ ト開発力で、実質的に強力な商品をつくることができたのは、佐藤のアイディアの賜物でしたね。
ゲームに関して言うと実は、作品ごとにそれぞれ考え方がブレているんですよ。「エヴァンゲリオン」という作品の世界観やキャラクターでゲームをつくる。 その際にどこまで、原作品をいじっていいのか。下手にいじることでオリジナルのクオリティまで下げてしまってはいかんのではないか、という足踏みがあって、 企画によってスタンスが変わっています。【325】
「鋼鉄のガールフレンド」の場合は、プログラマーの橋本立郎君 が、まず「やらせてください」と手を挙げた。「やりたいヤツが いるなら」と企画が実現して、シナリオも橋本君が書いて、ゲー ムとしては成功し、大きな収益も上げました。しかしガイナック ス全体としてはなんとなく「よし、この勢いでつくっていこう!」 というふうではなかったですね。先にお話しした、会社全体のバランスの悪さのようなものがあって、その後なかなか大作ゲームはつくれませんでした。その時期、ゲームをガイナックスのビジ ネスのひとつとして立ち上げた赤井がガイナックスから離れていて、明確な指針を示せる者がいなかったことも、「鋼鉄」に続くゲームをつくることができなかった原因かもしれません。【325】
インタビュアー:「エヴァと愉快な仲間たち 脱衣補完計画!」 のような脱衣ゲームも発売しましたが、あのときには「自分のところで脱衣ゲームを出すか、さすがガイナックス」と皆が衝撃を受け、畏怖 の念すら覚えたものです。
神村:「作品をどこまでいじれるか」という話の中で、「じゃあ脱衣を やってもいいの?」という意見が出て、庵野自身も「なぜやんないの? やればいいのに」という受けとめ方だった。そこで実際につくって「ガイナックスが自社作品の脱衣ゲームをつくった」 と話題にもなりましたし、ヒットもしましたけれど、あの系統の 作品は、実はあまり続いてないんですよね。その後、18禁のゲー ムをいくつかつくりましたが、失速は早かった。結局あのゲーム を、我々はそれほど楽しんでつくってはいなかったのかもしれない。
売れる商品ということでつくってみたけれども、たぶん誰もそ れをつくることでエンドルフィンが出なかったんですよね。だか ら後が続かなかったんじゃないかと思います。 「脱衣ゲームが売れたから、もっとがんがんエッチなやつをつくろうよ」という方針もあったんです。でも結局形にはなっていない。ってことは、 「うちには、本気で脱衣ゲームをつくりたがっているヤツはいな いんだ」と思います。うーん、商売に不熱心な会社(笑)。
ほかにも「エヴァンゲリオン」ではいろいろなゲームを出しま したけど、未消化だったり、力のかけ方がいびつだったなあとい う反省は、振り返ってみるとあります。会社として、「エヴァン ゲリオン」という作品で起こったムーブメントを、どうやって盛り上げて維持していくか。それにきちんとした方針を持って取り組めたとは言いがたいですね。
たぶん佐藤は、その状況をものすごく意識していたと思いま す。だからこそ「エヴァンゲリオン リニューアルプロジェク ト」では、ムーブメントの盛り上げに一所懸命に取り組んだんですよ。あれは佐藤が音頭取りをして、企業横断でもう一度「エヴ ァンゲリオン」を盛り上げようとする試みでした。かつて、ガイ ナックスだけではどうしてもできなかった取り組みでしたが、「エヴァンゲリオンを大事にしてくれる人、集まれ」という感じであちこちに協力をいただいた結果、良い成果をあげられたと思います。【326】
インタビュアー:ブームの盛り上げや維持には、作品の送り手側のイベントや広報などの活動が想像以上に大切だと聞きます。しかも業務の量としても大変なことになるそうですね。 かつては、うまく盛り上げ られなかったというのも、会社の体力として無理もなかったのではありませんか。
いや、それは作業量の問題ではないですよ。ユーザーと提供側 の人々のモチベーションを一致させるタイミングだと思います。 「リニューアルプロジェクト」では、キングレコードさんの「リニューアル版DVD」とバンダイさんのPS2ソフト『エヴァ 2」とが同じ年に出るという好機を、佐藤がきちんととらえまし た。このふたつの商品を求心点にして、もういちど一連の波をつ くろうとし、しかも参加していただいた企業のモチベーションの ベクトルが一致していたので成功したんですよ。昨年1年間「エヴァンゲリオン」のライセンスを担当して強く感じたのは、「リ ニューアル」に参加してくれた企業の担当者の人たちは、やっぱ りみんな「エヴァ」のことを好きでいてくれた。だからみんなそ れぞれに「自分たちもいい商品をつくりたい」と考えていてくれ た。そういうモチベーションの焦点を、このときはうまく提示す ることができました。最初に「エヴァ」が放映され、大ブームが 起こったときには、それを意識的に生かすことはできなかった。 会社として「作品をつくる」ことまでしか意識できていませんでしたし、「つくる」以外の意識もノウハウもなかったんですから仕方がない。でも、今後は、それをやらねばならないと思います。
【鶴巻和哉】(インタビュー日時:2004年4月)
「新世紀エヴァンゲリオン』のときに、庵野秀明が「ライブ感覚を持ち込む」という話をしてたじゃないですか。実際あのときは僕もスタッフとして中にいましたけど、まるで先がわからなかった。 第弐拾弐話をつくっているときに、第弐拾四話がどうなるのかまるでわからないという、予測のつかない状況でした よ。【342】
「フリクリ」の第1話で、「漫画のページのような画をつく ってそのまま写す」というシーンをやっているんですけど、あそこはアニメーターだった今石洋之君に丸投げというか、「任せたから、ハチャメチャにしてください」と発注してつくってもらっ たんですよ。【343】
「フリクリ」のまだ最終話のあたりを制作していたとき、年末 も、もうすぐ正月だというのに、ずっと会社で仕事をしていたん ですよ。そうしたら庵野さんから電話がかかってきた。どうも仲 間を集めて忘年会をやっているらしい。で、「『プロジェクトA 子』 や 「AIKa』 の監督の西島克彦さんがマッキーに話があると言ってるから替わる」と言われたんです。そうしたら 西島さんに「なんでそんなにカッコつけたアニメをつくってるん だー」と、電話口でとうとうと怒られたわけですね。「おっぱいとかパンチラとか、そういうことだろう、アニメは!!!!」と(笑)。 いや西島さんも酔っ払っておられたんですが、僕としては「自 分なりのエロスを出しているんだ」と一所懸命に話すんです。でも西島さんはもう全然認めてくれない(笑)。「そんなんじゃダメだよ」という感じで怒られましたよ。それまでは、西島さんとほとんどお話ししたこともなかったのに(笑)。そこまで言っていただける方はいませんからね。ホント、ありがたい話です。【346】
「フリクリ」の場合は、いろいろごちゃごちゃと入っているので複雑に見えてしまうんですけど、実は「わざわざ6話もかけてこの話をやる必要があるのか」というくらい、すごく単純な話なんですよ。 単純な話を複雑なキャラクターがやっているだけで。【347】
『トップをねらえ!』の後日談的な小説や漫画はいろいろ発表さ れているんですが、「地球に帰還したユングが、ウラシマ効果を つかってノリコたちが帰ってくるのを待っている」というストー リーを期待しているファンの話を聞いたことがあります。しかし それは違うと思うんですよ。最終話でノリコは、「人と違う時間 を生きる人間は、自分で最後にしたい」と言ってます。そのノリコの真意を知っているユングが、人と違う時間を生きようとする わけがないんです。だからユングは、地球に帰った後、普通に年 をとってそのまま亡くなったんだろうと思います。【348】
「フリクリ」に登場するハル子の場合は、そのスタートに 「えの素』という漫画に登場する「葛原さん」があったんです。【349】
(FLCLのキャラデザについて貞本さんとの打ち合わせ)僕の中では騒々しい葛原さん”というイメージがあったので、「ミサトではないんです。もっとハチャメチャなんです!」とリクエストしたら、「じゃあ声を新谷真弓がやるような感じ?」ときたんです。そのときはピンとこなかったんですけど、とにかくハチャメチャさを貞本さんに伝えるために「そのくらいのイメージです」 と反応してしまった。結局、本当に新谷さんに声をやってもらう ことになったわけですけど。
「普段は美人でクールなんだけど、すぐに暴力をふるう、わけの わかんない人」なんて、そんな説明じゃ伝わらないんですよね。 新谷さんという声優さんを介することでようやくイメージを共有 できた。その結果、当初より愉快な要素が入ってきて、あのキャ ラクターになったんです。【350】
「フリクリ」で、主人公がスクーターで轢かれたり、ギターで殴られたりするんですけど、それが僕的にはエロスなんですよ。確 かにおっぱいやパンツみたいな直球エロではないけれど、明らか に僕の中ではエロス。ああいうところにドキドキする。 【351】
(トップ2について)実は庵野から「お題」がひとつだけ出されているんですが、 それを聞いたとき「できる」と思ったんです。以前うまく行かなかった企画のアイディアに「お題」の要素を足すと「できそう」っ て勘が働いたんですね。で、その場で「トップ2」引き受けちゃった。そのアイディアをパッと見て、「『トップをねらえ!」らしい か?」と問われると、「そんなに『トップをねらえ!』じゃないですよ」と、こたえるしかないんですけど、しかし「トップをね らえ2!」にふさわしいという確信はあります。 僕の中に「トッ プをねらえ!」らしさの基準があって、それにはばっちりハマっ てる。ただね、当然ですけど「トップらしさ」というのが、人に よってだいぶ違うんですよね。【351】
庵野なんかは、それこそ「トップをねらえ2″じゃ面白くない から、いっそ トップをねらえ3″ にしちゃいなよ」と、言ってたんですよね。「いや、でも”2″はどうするんですか」と聞いたら「トップをねらえ2″は皆さんの心の中にあります」 ということでいけと(笑)。確かにそうかもしれない。「トップをねらえ!」ができてから2年後、3年後に”2″がつくられるのであれば、違うやり方もあったと思うんです。 それこそユングが出てくるような話もあったかもしれないんですけど、16年もたってから2をつくるのであれば、もうそういうことではないと思うんですよ。【353】
「トップをねらえ!」のファンには、すでに「トップをねらえ!」 があるじゃないですか。あれほど見事に完結している作品があれ ば、「それで充分、余計な続編は必要ないだろう」とも思うんで す。だからこそ、好きにやらせてもらうことにします。 あれから16年を経たガイナックスが、今つくるべき『トップをねらえ!」、それが「トップをねらえ2!」だと考えています。【353】
(ガイナで)全話の画コンテが読める環境にいると、もっとやりたいところが出てくるわけですよ。しかもですね、「ちょっとマッキー見てよ、これ」とか言って、自分がやりたかったけどやれなかったシーンを「こんなレイアウトが上がっ てきちゃってさぁ」と庵野に見せられたりするわけです。そうすると「うーん、これはやっぱり許せんですね」と直してしまう。(庵野さんに)うまく使われてたんでしょうけど(笑)。策士ですよね。【355】
僕が庵野を天才だと思うところは、そこなんですよ。だから庵 野の近くで仕事をして、「あの技術を吸収したい」と考えている んです。それは人をやる気にさせたり、場合によっては窮地を土 壇場でごまかす技術。あれはすごいですよ。僕はむしろ庵野のす ごさはそこだと思っているので、見ているところが人とは違うだ ろうなと思います。
以前、貞本に「もう庵野さんの下から離れて仕事したほうがい い」と言われたことがあるんですけど、そのときに「いや庵野さ んが窮したときにどうするか、困ったときにどうするか。そうし たときの技術がすごいんです。あれはすぐそばでないと見られな いことだから、もっと近くで見ていないともったいない」と話し たら、驚いていました。
たとえば録音スタジオで行き詰まったときに、こうやって乗り きるのかとか。ここでこういうことを言うと場がうまく回り出す んだと【355】
だいたいガイナックスに来た理由も「オレのこの職人の 腕を、庵野さんのために使いたい」ということだったんですから。だから今やっている仕事に関しては、本当に「まさかこんなことになるなんて」という気持ちなんですよ(笑)。【358】
庵野が宮崎駿さんのところで「ナウシカ」の仕事をしたとき、いろいろと直接に意見具申をしたらしいですね。当時でもすでに宮崎さんはアニメ業界ではカリスマ的な方で、作画スタッフがそうそう作品について意見することはなかっただろうと思うんです。そんな中で庵野が「ここはもっとこうすべきだ」とか、 こうしたほうがカッコいい」とか意見して、それが面白くて気に入られたというんですよ。宮崎さん、驚いたでしょうね。学生あがりで経験も少ない、ばっちい身なりのアニメーターが、宮崎さんに文句を言うんですから(笑)。【358】
本能だけでつくったものがアニメらしくなるという人がいたら、すごく尊敬します。 そうなりたい。しかし、僕はそうはいかないから考えてつくらざるを得ない。けれど、自分の頭だけで考えて つくったものは面白くないだろうから、人の力も借りて、自分の 予期しない揺らぎの部分を用意しよう、そこが面白さに結びつくようにしようということです。【363】
僕の中では同じなんです。画コンテも原画も、どちらも絵を描くことですから楽しいんですよ。逆に、録音スタジオで、「今のセリフは良かったです、悪かったです」という話をしているとき とか、編集スタジオでの作業とか絵を描かない作業は、苦痛です ね。絵さえ描いていれば、僕は楽しいですよ。【363】
インタビュアー:鶴巻さんは「エヴァンゲリオン」では副監督でしたが、そうなると作家性も要求されたのでは?
鶴巻:それはなかったですよ。それは庵野が一手に引き受けていましたから。僕の役割は、庵野が煮詰まっているときに、表層を飾り立てるアイディアをなるべくたくさん出していくことだった。それが突破口になることもあるかもな、と考えながらやってました。【365】
(FLCLは)まあ、「次もあるさ」と思っていたから、つくれたというのはあります。 庵野なんかは一球入魂、一発必中、乾坤一擲という か、自分が焼け野原になるまでやって、そうでなければすごい作 品なんてつくれないよ、という姿を見せる。
「もちろんそのとおりだ」と思います。実際に庵野の言動を見て いると、本当に燃え尽きて、灰になるまで取り組んで、それから またニョロっと出てくる。すごいと思います。しかし僕には、そ こまでやれる自信はなかった。だから、僕の場合は「次もある」と考えながらやっていました。【366】
インタビュアー:「トップをねらえ2!」では、「フリクリ」とは違う、また新た なアプローチをファンは目にすることになりそうですね。
鶴巻:とりあえずは、前作の「トップをねらえ!」の雰囲気、ちょっ とゆるいところから始まって、それが段々と盛り上がっていくようなところ。あれは踏襲したい。【366】
【平松禎史】(インタビュー日時:2004年8月)
絵を描き始めたのはマジンガーZがきっかけ。小学生の時模写してた。【369】
その後に松本零士さんの絵を模写してた。【370】
そこからパラパラ漫画の方に行きました。「未来少年コナン」を観て「絵を動かすのは面白い」と思って。【370】
美術系の短大生の頃は人形劇サークルで影絵劇をやっていた。非常にいい経験になった。【373】
卒業後すぐアニメ業界には行かずに1年間サラリーマンをやって、それからアニメに行った。【376】
「ミスター味っ子」から原画をやったが、爆発、日常芝居、食事の時の端の上げ下げまでいろんな要素の場面が出てきたので一通り経験することができて幸運でした。【377】
「七つの海のティコ」から、「名作劇場」の仕事を始めているんですけど、それを当時ガイナックスにいた鈴木 俊二さんが見てくださっていて、「エヴァンゲリオン」の第拾伍話に誘ってくれたんです。その後、第拾九話「男の戦い」)から、ガイナックスで机を借りて仕事を始めるようになりました。ただその前に、スタジオかぁたんでの最初の仕事として 「ふしぎの海のナディア」をやっています。
【赤井孝美】(インタビュー日時:2005年3月)
だいたい「(DAICONFILM版帰ってきたウルトラマンについて)赤井が完成させてくれた、ありがとう」というのも 庵野君の自己チューのなせる感想であって、最初の企画とコンテ は庵野君ですけど、実際の現場に入ってからは僕がカメラを回して、照明のセッティングなども僕がやっているわけです。それに 給料ももらわないで手伝ったスタッフや、出演した武田さんたち を含めて「みんなの作品だ」と考えるのが、普通のアマチュアの 発想だと思うんですけど(笑)、彼は完全に自分の作品だと考えているから「すまないねー、なんか僕の作品に巻き込んじゃって -」 みたいな感想が出てくるんでしょう。 庵野君のいいところは、そんな究極の自己チューが、まるで善人に見えるという。そこが彼の人徳なわけですが。(この話、筆者個人的に大ウケ)【402】
DAICON3のときも、意識としてはマーケティングのようなところから入った部分があると思います。 「SF大会で見せる」 というのが大前提でしたけど、自分自身がSFファンではなかったので、SF大会に集まってくる人がなにを求めてくるのかわからなかった。参加しているスタッフの好みもわからないし、それ にアニメファン、今のオタクワールドのようなものも確立されていたわけじゃなかったので、よくわからないところからリサーチしながらつくっていったんです。
あの時代のファン活動の通行手形として「美少女」っていうも のが出てきていました。当時を大航海時代だとすれば、それを支 えた推力は、内燃機関なのかどうかわからないですけど、メカと 美少女でした。メカは庵野が描ける。もう庵野が描くパワードス ツを出せばお客さん的にはOKだろう。そして80年代の初めに美少女といえば、吾妻ひでおさんの絵とクラリスが2大トレンドでした。主人公の女の子については、〝それをそのままやりまし た”という感じです。あとオープニングアニメの場合、自分で描 ける枚数の問題と、全部素人がハンドトレースでセルにするとい う事情もあったので、画を極力単純化しています。単純じゃなか ったら、細かい線のニュアンスがつぶれるという予想があったので、それでつくった画なんですよ。【403】
DAICON3の場合は、吾妻さんの画とクラリスでしたけど、DAICON4では、さらに「風の谷のナウシカ」の ナウシカが加わりました(笑)。DAICONの場合はネタモノと いうか、企画モノでしたから、企画性の枠で発想したんです。D AICON3ではランドセルを背負った女の子を出したから、4 では意表をついて「バニーガールだっ」とか。今では定番ですけど、その頃は意外だったんです。【403】
【渡辺繁】(インタビュー日時:2004年2月)
王立宇宙軍のパイロットフィルムはいろんなところに見せて回った。押井さんにも見せましたし庵野さんがナウシカに参加していた縁をたどって、宮崎駿さんのところにも見せに行きました。【426】
宮崎さんとは3時間にわたって話して、といっても宮崎さんが 2時間50分お話しになって、僕は10分だけでしたけど(笑)。そのときに宮崎さんは「庵野君たちはアマチュアだけど、ちょっと違 う存在だと思う」と評価してくれたんです。「アマチュアには豪華な出窓はつくれても、基礎をきちっとつくるという部分でふら つく人間が多い。しかし彼らはきちんと基礎をつくって、たぶん 新しい建物をつくることができそうな気がするから、もしも必要 ならばバンダイの役員会の皆さんの前で、アドバイスなどをして 差し上げてもいいですよ」とまで言ってくれたんですよ。
もうそれだけで、僕は我が意を得たりといいますか、「これで大丈夫だ」という気分になりました。 実際に役員会でも、「宮崎さんはこうおっしゃった」と伝えたら、それで企画は通ってしま いました(笑)。【427】
【感想】
エヴァや庵野さん等に関係がある箇所は太字で表してます。
ガイナックスが潰れた今、読んでみると複雑な気持ちになる人がちらほら。山賀さんはまだしも武田さんなんて話もスジが通ってて尊敬できるのに…
この本の著者:堀田純司という人は『ガンダム者』という1stガンダム関係者へのインタビュー本を出している人で有名らしく、読んでいるとすごい知識と実力を持ったインタビュアーだなと感じる。この本も丸々2年かかったんだとか。すごい本です。