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今回とりあげた書籍の中ではインタビュー日時が最も最後の時系列。
【庵野監督インタビュー】
ナディアは子供番組だったので、子供が見ることを前提にして作っていました。子供に見せるものだからこそごまかずに極力キチンとやろうと考えていたんです。子供向けのものはナメて作っちゃいかんと思います。【60】
ナディアの場合は基本的な話の流れを放送局が既に設定していたので、それに乗ったうえで作りました。死って難しいんですよ、描くのが。その人の宗教観や世界観、死生観や哲学までが関わってきますから。でも放送局側のラインに死が盛り込んである以上、外せない。となれば「せめて自分にウソをつかずにやりたい」と考えていたと思います。【61】
子供向けだろうがオタク向けだろうが総じてナメた仕事はどうかと思いますね。割り切った仕事はできますが、お客をバカにするものはつくれないだろうとおもいます。【61】
評論家とかはあまり好きじゃないんですけど、ただそういう人たちが何か語ることによって「つくられる作品がもっと面白くなるのならいいのに」とは思います。
文化に関して語るにはこの国のレベルはあまりに低いですし。それは論じる対象も、論じる方法も。文化に関しては本当に幼稚な国だなと思いますよ。なるほどと思う評論にはごくまれにしか出会えませんね。【62】
(「アニメは世界に誇る代表的なコンテンツ産業と語られることが多いですが」と聞かれて)それは世界において日本がアニメを独占しているだけだと思います。
週刊ペースでアニメを、こんなに量産できる方法論と余裕を持っている国は日本だけですから。アメリカですらもう難しくなってると思います。ほかにライバルがいなければ、世界に誇れるのは必定ではないかと。世間や官がアニメをどれほど理解して真に評価しているかは甚だ疑問が残りますね。【62】
日本は精神的には豊かだとは思えない。それよりも民度が低いとか、味方が要地であるとか、トータルで子供っぽいですよね。この国は。それは当然僕も含めてですけど。【62】
東京の街の景観をチラッと見ても、この国の文化的なレベルはこれか、とわかりますね。最近の建築物には美意識なんてものはなく、ただ経済や物流の効率のみの単一目的で街を作ってます。この頃ようやく、景観や情緒を大事にしようという動きが世間に出てくるようになりましたけど、それは良いことだと思います。【62】
アニメも、一昔前の経済的なバブルに似た状況にあると、今感じますね。アニメバブルですかね。【63】
オタクの最大の弱点に画一化があると思います。多様化しない。アニメも多様化してないですよね。どんどん一律化している。これは滅びの道ですよね。そのうち滅びますよ。【64】
滅びるのならそれもいいかと思いますよ。滅びを止めたいエネルギーの方が大きければとまるだけだし、「そうじゃない、このままでいいや」っていうエネルギーの方が大きければ滅びていくんじゃないですか。
滅びるとしても全くのゼロにはならんと思うので、それでいいと思いますよ。残るべきものがわずかでも残っていれば。大きな流れに任せるのが自然でいいかと。【64】
僕がやってるのはあくまでも観客に対するサービスの延長でしかないんです。この仕事はサービス業ですから。【64】
60年代以降はカウンターカルチャーしかなかったと思うんですよ。なにかがあって、それに反発して、結局その反発したものに対するまた反発。この繰り返しでしかなかった。
今はその反発すべきものすらなくなっているので、創作行為はリサイクルとコピーコラージュみたいなものでしかなくなってしまった。今つくられているものはコピーペーストによるものだけですよね。これはもうしようがないと思っていますけど。
人ひとりが持っているポテンシャルがここまで低くなって、こんなに情報だけ増えた今ではコピーペーストぐらいしか出てこないんでしょうね。いつかはこうした状況も、今の日本の社会的な状況も含めて、変わっていくとは思うんですけどね。【65】
オタクはもう万国共通だと感じます。ヨーロッパでも韓国でも台湾でも香港でもアメリカでも、オタクは本当に変わらないですね。
これはすごいと思います。オタクに対して非難めいたことを言っているようですけど、否定しているわけじゃないんですよ。【65】
オタク以外の人からオタクを非難されると腹が立ちますね。「うるさいバカ」と思います。なにもわかってないくせにと(笑)【65】
基本的に自分の作品はあまり見直さないですね。つくっている間に嫌というほど見てますから。面白さを少しでも上げるために制作中は初号ギリギリまで何十回何百回と見直します。【66】
アニメーターというのはカメラで撮影しつつ、演技をしつつ、しかもそれを画にするという大変な仕事です。カメラマンと役者と画描きの3つの技術が要求されるわけですから。だからこそ面白いんですけどね。【67】
(「庵野さんは学生時代にマンガを描いたこともあるそうですが、ひとりで作品を作るのは結構辛いものでしょうか。」と聞かれて)ひとりでつくるのが別に辛いってことはないですけど・・・面白くないんですよ。
ひとりでつくったほうがストレスは絶対に少ないと思います。けどただひとりでつくってそれで面白いモノがあがるかっていうと、僕は無理ですね。
僕一人の持つイメージってたいしたことないんですよ。僕がひとりでアニメをつくっても面白いモノになるとは思えないんです。だから集団の方がいい。【68】
守るべきものは僕自身じゃないんですよ。守らなきゃならないのは作品であり、現場スタッフなんです。
それを外から防御するために監督である僕が最前線に立っているだけです。出来上がった作品に付いて僕が悪口を言われるのは良い。そういうときに矢面となる対象として監督がいるわけですから。しかしスタッフの悪口を外から言われるのは許せないですね。【68】
作品=スタッフです。作品はスタッフがいなければできないですから。最優先です。
僕は今まであまり潤沢な予算というものをもらったことがないんですよ。だからこれだけの仕事に対してこれだけのお金を出しますという経済的な形でスタッフに報いることが出来たことがないんです。いつもギャラ以上のことを要求しているし、してもらっています。
スタッフやキャストには本当に感謝しています。だからせめて面白いモノにしないと申し訳ない。やって、参加して良かったと思われる作品にしたいと思っています。【68】
集団作業はいろいろ大変ですが、なんといっても面白いです。だからまだ続けてるんだと思います。【69】
漫画は小学校の時から描いてはいたんですが大学の時にやめちゃいました。面白くないんですよ、自分のは。【69】
(日本では伝統的に、独裁的なイメージをもつ監督像が愛でられてきた気がしますが」と聞かれて)独裁者の方がキャラクターとして分かりやすいですしね。
それに独裁者っぽくしている方がスタッフも楽なんですよ。たぶん僕も現場に立っている時は独裁者っぽく見えると思います。その方がシステムが機能しやすいし。
でもそれは、スタッフもある程度監督という仕事を分かってくれているという暗黙の了解があってのことですから【69】
監督が独裁者になれるのは、監督だけが責任を取るからなんですよ。それが監督の唯一の仕事ですから。
監督がそれだけはやっちゃいかんと思うのは、出来上がった作品についてスタッフを非難することです。これはシナリオが悪いから失敗したとか、役者が悪いから失敗したとかですね。最低のことだと思います。
そのシナリオを採用したのは監督だし、役者をオーケーしたのは監督じゃないですか。その人の能力不足でしかないですよね。監督をやっている以上スタッフのせいにしないのは最低限の礼儀だと思います。【70】
名前だけでぜんぜん仕事をしない監督さんもいます。しかしアニメの現場はそれでも機能するんですよ。むしろそのほうが制作スケジュール的には助かることもあります。【70】
『DAICOMFILM版帰ってきたウルトラマン』では自分の至らなさから製作途中で監督を降ろされてしまって、その後の作業は全て赤井くんがやってくれました。完成までもっていってもらえたのは、すべて彼のおかげです。
完成したフィルムを東京の上映会で初めて観た時には大泣きしてしまいました。ホント、感謝しています。あと結果論ですけどあの作品では、編集と音は僕がやらない方が良かったと感じます。自分がやっていたらあれだけの作品にはなっていなかった。『72』
(「そういう話を聞くと、みんなでものをつくるのはいいものだなと憧れますね」と言われて)もちろんいい場面ばっかりではないので、作品1本やった後は「こいつとはもう二度と仕事は出来ん」という人もいます。トータルでは嫌な部分の方が多いですよね。
監督をやっているとよかった部分と嫌な部分の比率は、たいてい6対4くらいで嫌な部分の方が多くなってしまいますけど。でも、僕はいいものだと思いますよ。『72』
(「庵野さんの監督としての基本姿勢は、常に自分の思惑を超えるものをスタッフが出してくれることを期待しているわけでしょうか」と聞かれて)まあ、そうですね。自分が持っているものが最低限ですね。自分の思っていたものと全く方向性が違うものが出てきてもそれが面白ければオーケーなんです。
自分のイメージどおりにつくりたいっていう気持ちはあんまりないですよね。むしろ自分のイメージじゃない方がいいかと。今実写をやっているのはそこが大きいんです。【72】
自分の思いどおりにつくるんだったらアニメをやったほうが絶対に良いですね。
ただ僕はそのシステムでずっと長くやってきたので、今は思い通りにならないものの方が良いと感じるんですよ。「思惑と全然違う」という部分を「どうしよう」と考える家庭を含めて、面白いですね。【73】
実写作品で役者さんの制御はほとんどしていないですよ。演技指導って嫌いなんですよね。『ラブ&ポップ』では特にそうでした。言葉は悪いですけど放し飼いでしたね。【73】
『ラブ&ポップ』では120時間以上カメラを回しています。【74】
僕はどうもないものねだりというか、アニメをやっているときは生っぽいものに憧れて、実写をやっているとやっぱり生っぽいものを切り捨てようとしてしまいますよね。
僕の生理的なものだと思うのですが、必要以上に生っぽいものはいらないと考えてしまうんです。自分でも妙なんですけど。そういうところを特に感じれば現実の人間を定着させる気はない」という感想も出てくるのだろうと思います。(インタビュアーに「庵野さんの実写作品を観ると「この人は現実に息づいている人間を映像として定着させる気はないんだ!」と思ったと言われて)【74】
アニメにしても実写にしても僕から見れば現場が違うだけで、つくり方自体はそんなに違う感じはないんですよ。
基本的にどちらも同じで、映画をつくっていて自分が気をつけることといえば、客がどうやったら寝ないですむかということだけです。それだけですね。
お客さんが30分なら30分、2時間なら2時間の間に「椅子が痛いなあ」と、どうやったら思わないだろうかとか、どうやったら寝ないだろうかとか。フィルムを作りながら考えてるのはそこです。
緩急とかそういうものですね。人間がひとつのことをやり続けることが出来るのは45分が限度らしいんです。【74】
人間の集中力はそうは長くは続かない。だから始まって5分でこれぐらいの情報を提示して15分くらいでこんなもので、そろそろ飽きたかな、眠いかなというところで目の覚めるようなものを入れる。それは編集の段階でも考えますけど。そうした作品の大きな流れにいちばん気を遣うようにしています。【74】
(作品を作る時は)理屈っぽく作っているように見られがちですけど理屈ではやっていないんですよ。根拠になるものはほとんど雰囲気とか気分とかそうしたあいまいなものですね。自分の中で持っているそういった感じは大切にしようとしています。
セリフにしてもカットのつながりにしても、「なんかこれ違うな」という違和感を外していくんですよ。自分で見ていて「ここでこういうものが来てほしい」という感覚的なものですね。【75】
発想のとっかかりは、こういう画をやりたいとか、こういうシチュエーションを描いてみたいとか、そうしたヴィジュアルイメージであることが多いです。スタートはそんな他愛もないものですよ。
ただいちばん最初にやりたかったものって結果として、早々にどこかへ行ってしまうんです。「これがいちばんやりたかったのに」というところも(笑) シナリオとかの段階でどうしても入んなかったりして、なぜか消えてなくなってますね。【75】
結局、自分の好きなものってそんなに幅がないんで。結果として映っているものはたいてい似通ってきちゃいますよね。映画1本の中で8割9割はやっぱり自分の好きなものを入れていると思います。
自分の好みじゃないものが映っても外しちゃうんですよね。ただ残りの1割2割、今回これが新たに好きになりましたとか、スタッフが好きなものを入れるようにしています。【75】
ここだけ違いますというものがどこかにないと作っていて自分が面白くないんですよ。永遠に同じものを作ることが出来れば、それはそれでいいんですけど、どうもまだできないですね。
そのうちにできるようになるかもしれないですけど、今はそうはいかないですね。自分が飽きっぽいのもあるんでしょうね。あまり同じテイストで作りたくはないです。【75】
僕の場合、社会の状況まで視野に入れてものを考える(作品を作る)ことはないです。
社会の状況というよりも、自分が暮らしている環境ですね。自分の環境とは、自分の手の届くところ、自分の見えるところ、自分が実感を持って理解できるところまでだと思いますが。【76】
小説や実写映画と違ってアニメが海外に輸出されるのは、それがあまり日本っぽくないからじゃないですかね。髪の毛が黒ではなく、黄色とか青とカ赤の人がいっぱいいますし(笑)【76】
行政も民間もあまり実写映画の撮影に協力してくれないという問題があります。なかなか撮らせてくれないんですよ。
「映画は文化だ」と口では言っていますけど、この国の本心では、映画が文化だなんて思ってないんだろうなと感じます。映画に対する協力体制とかまだまだできてないですね。
もちろん撮影する側にも問題があるとも思いますし、全てが非協力というわけでもありません。現に『式日』の撮影時は地元の方々のおかげで本当に助かりました。【77】
しかし個人では協力してくれても、企業なり行政となると経済効果や宣伝効果が優先されたり、「なにかあったらマズイ」ということで、どうしても事なかれ主義になっちゃうんですよね。
残念ながらリスクを負ってまで映画を作りたいと思う方は少ないですね。こういうところは中国とカ韓国とかアメリカとかには、まったくかなわないです。【77】
『エヴァ』のときにはよく「でもアニメでしょう、アニメだから観ない」と散々言われました。それはそういうもんだと思うんです。
エヴァの後実写を何本かやったので、そっちを好きな人からは「アニメなんかやってないでずっと実写を撮ってください」と言われます。【78】
今、この国は心が貧しいと思います。絵画を見せるにしてもそうですよね。良い絵を広く誰にでも公開しようとはせず、ガラスのケースに入れてロープの向こうから見せるでしょう。
絵の具の持っている本当の素晴らしさ、デジタルにはない絵の具の立体が持つ陰影は、きちんとした照明の中である程度近寄って見ないと分からない。日本の環境では絵画の持つ素晴らしさはなかなか伝わりにくいと思います。
ヨーロッパとかはただで見せてるそうですよ。ガラスケースにも入れず、誰でもイーゼルを模写もできる。子供のころからすぐれた作品をじかに目の前で見てしかもタダで模写もできる環境で育てば、そりゃもう、ものを見る目がぜんぜん違ってきますよ。少なくとも絵を描く力は全然違うでしょう。
絵を描く、という行為ひとつとってもこの国は相当遅れていると思います。【78】
芸術や文化に対する認識がまったく置き去りにされているじゃないですか。建物でもちょっと耐震性に問題があると言われれば、すぐ取り壊して新しくしてしまいます。
昭和のものを残してほしいと思っても、「まだ築100年たっていないから価値がない」といって残そうとしない。それはおかしいでしょう。なぜその建物の価値を今判断することが出来ないんだろうと思います。そういうところでおかしいですよね、この国は。
ちょっと前の本当にいい家や街並みが、どんどん取り壊されていますよね。経済効果や道路を物流目的で整備するといった単一価値に走った結果だと思います。【78】
東京都の税収はもっと小金井の「江戸東京たてもの園」に使うべきだと思いますよ。少なくとも僕が都に払っている税金は全額そこにまわしてほしい(笑)【79】
新しい漫画はほとんど読まないんです。その時間があったら昔のものを読み返しますよね。【80】
本宮ひろ志先生が好きなんです。直球なんですよね。あの直球なところがものすごく好きです。【80】
ガイナックスにはアマチュアでつくったシステムというかノリみたいなものは今でも継続して生きていると思います。僕個人としては大学のときに自主製作を体験しておいて良かったと思っていますよ。
あのときに本当に集団でなにかをつくるということの、良いことも悪いことも身に沁みましたから。そしてやっぱり面白かったんですよね。あの体験があったから、今の自分がいると思います。【80】
ガイナックスにいて良かったと思います。ガイナックスでやっていたから、自分に合っていたし面白かったんだろうなと思います。
ガイナックスには「決まった型がない」とう感じがします。社長と言っても年はそんなに変わらないし、学生が集まってアニメをつくろうと結成したのが出発点という会社ですから、なんというか大人の会社じゃないんですよ。子供の発想のままずっと来ている会社なので、そこがすごく好きです。【80】
ただエヴァをつくっているときには「会社がつぶれてもいいや」と思っていました。
僕が守るべきものはあくまでも作品なので、会社の維持よりはそっちを探ってしまうんですよ。作品至上主義と会社経営が両立できるほど、僕は大人じゃないですから。(後でカラー作ってそれやるけどね…)まあ運よく持ちこたえてくれてよかったです(笑)【80】
(「儲かるからエヴァ2を作れと言った要請も出てくると思うのですが」と聞かれ)そういうのが出てこない会社なんですよ。会社の発想ではなくて個人の発想の延長が集まっているという感覚ですね。【81】
もし今エヴァを作るとすればもう少し親切に作るかもしれないですね。エヴァの当時の状況では突き放したほうがいいと考えていましたが今では受け入れられないでしょうね。そんな余裕のある状況じゃなくなってきてると思います。
僕は流行りの歌を聞かないんでわからないんですけど歌詞で「友達は大切だ」とかわざわざ口にしなくてもいいようなことを口にして それがヒットして受けている。
『友達が大切』ってそれは当たり前のことじゃないですか(笑) 歌詞にする必要なんかないんですよ。
そういうのを聞くと「あーもういよいよダメになってきたか」と感じます。エヴァ やってた頃 90年代ならまだもうちょっと表現に余裕があったと思うんですけどそれがいよいよなくなってきた感じがします 。
エヴァでは赤毛のアン で語られたような人が想像する余地を、楽しさを提示したかったんです。
あの当時は何でもかんでも攻略本やマニュアル本 が発売されていてデート 1つ するにもマニュアルがないとできないしゲーム 1つ クリアするのにも攻略本がないとできないという風潮でした。まるで人間の作ったものには全て回答、答えがあるというようにですね。
でもそれはどうかと。現実の世界では答え は仮説も含めて多様化しているわけじゃないですか。その人にとっての答えがあるというだけでこれは設問があれば必ず答えが一つ用意されているという日本の今の教育も良くないと思います。
例えば現国の問題なんかもそうですよね。「作者がどう考えているか40字以内で書け」なんていう設問が出る。僕は作者じゃないのでそういうのは分かりません。それに作品全体じゃなくて その数秒だけを抜粋されたものを読んでも作者がどういう気持ちで書いたかなんて分かりません。これは 答えとは限りません」というのが本来の回答 だと思いますけどそれを書いたら日本だとバツになりますよね【82】
日本の教育は基本的にミスをしない人間が優秀という減算式のテストですね。まずそもそも100点満点という模範があってミスをしなかった人が100点を取る。しかしこれが別の発想の教育 ならば100点の人もいればそれを超えて200点の人もありえるわけです。しかし日本では200点の人は評価されないんですよ。【83】
今はそういう風潮の中で「与えられたもの全てに答えがある」という感覚はいかがなものかと考えていました。思いついた人の分だけ答えがあるようなものにしたかったんですよ。
「答えはこちらが用意するものではなく皆さんの中にあるもの全てがOK」と。
今もそうですけど その頃は どんどん 想像力というものが社会から欠落していったと感じています。自分で考えない方が圧倒的に楽ですから。しかし想像する快楽っていうものも誰にでもあるはずだと思うんですよ。だから 作品の中に 想像する余地を残したんです。ブラックボックスをわざとあっちこっちに作っておいてしかもそのブラックボックス自体も組み合わせによって色々な解釈ができるようにしておく。「この言葉も当てはまるけど これも当てはまるじゃん」という答えがいくつもあるクロスワードみたいな楽しさですね。あからさまに矛盾する部分も入れておきました【83】
かと言って僕もゲームをやるときは 攻略本がないとやりませんけど(笑) (えぇ…)【83】
今はもうゲームは全然やってないですけど以前「とにかくドラクエをやらなきゃだめだ」と友人が言うので借りてやったんですよ。そうしたらさっぱりわからなくてとにかく攻略本を見ながらプレイしました。(笑)
ゲーム中に無駄なことをするのが嫌いなんです。そこでストレスがたまるのが嫌でしたね。攻略本に載ってるラスボスを倒すには 経験値がいくつ必要というのをクリアして、しかもその2倍ぐらいまで行ってないとラスボスの前に行かなかったです。で、何本かやると「なるほどこういうものが ロールプレイングなんだ」ってある程度 分かったからもうやらなくなりました【83】
ゲームをやる人の気持ちが少し分かりました。あと自分はこういうものはやらないんだっていうことが分かりました 。(笑 )
ちょっとゲームを好きになってみようという気持ちはあったんですけど自分の中であまり好きになれなかったんです。
そんな自分でもハマったゲームはスーパーロボット大戦シリーズですね。でもあれはゲームが好きというよりも ゲーム制作者の気持ちに対する共感とか登場するロボットそのもの、オリジナル作品への思い入れとかそういう部分で好きでしたから。
あとは麻雀ゲームくらいですね。ちょっとした時間つぶしにやってました。それももう全然やってないですけど 【84】
(「スーパーロボット大戦にエヴァンゲリオンを出すんだとおっしゃっていたそうですね。実現しましたが」と言われて)切望していたのであれは嬉しかったです。最近は仲間に入れてもらえなくて寂しいです。(悲)(確かこのちょっと前にMXが出てたから別にそんなことはない)【84】
エヴァのテレビシリーズではスケジュール的にも精神的にもどんどん 余裕がなくなっていきました。そのうちにトリップしているというか集団でイッちゃってるような感じになりましたね。
ああいう体験にはなかなかお目にかかれないです。ああいうギリギリで切羽詰まっている状態はむしろ楽しかったですね。ものすごくハイになっていました。ずっと脳内麻薬が延々と出っぱなしになってたんじゃないでしょうかね。何ヶ月も【84】
今 リニューアル 作業のために 5~6年ぶりに エヴァを見直しているんです。話や内容は自分でも結構忘れてたんですけど普通に見て「これは面白いな」と感じますね。辛いところもありますが やっぱり自分はこういう 巨大ロボットものが好きなんだなというのも感じます。
いや、面白いですねエヴァンゲリオン。「こりゃ 人気が出るわ」という気がします。それに自分でも変なことしてるなと思いますね。(笑)【84】
例えば アニメのキャラクターでアイデンティティを確実に表現できる部分は キャラクターの持っている髪の形と色それと声でしかないんですよ。
第22話でアスカの内面を映像化しているんですけど現場にいた声優さん全員に アスカの声を演じてもらった。そしてその違う声のアスカを本来の宮村優子の声が否定しているという場面があるんです。やはりそういうのは自分でもおかしいと思いますね。
傍から見ると楽屋落ちにしか見えないと思いますけど当時は そういったマイナーなことまでやってました。自分のアニメの表現に対する疑問がかなり高まっていたんだと思います。
セルアニメで人間の持つ生っぽさを表現できるのは結局 声というか、音だけかと【85】
(カレカノを拝見すると庵野さんの声のこだわりが理解できる気がします。あたかも音を聞くために映像を作っているのだという印象すら受けます」と聞かれて)でもそれがテレビアニメの場合は当然なんですよ。音だけ聞いてちゃんと内容が伝わるように作った上で プラスアルファとして絵がつくという発想で制作しています。
もちろんアニメだし画がいいに越したことはないんですけど。しかし実際には パッとキャラクターを見てこの人が泣いているのか笑っているのかさっぱりわからないという画が上がってきたりすることが現場ではあるわけです。そういう時にセリフで「君どうして悲しいの」と入れると「そうか、この人は悲しいんだ」とお客さんに情報が伝わります。セルの絵だけで全てを表現することはもちろん可能ですがよほどの技術を持ったアニメーターが来てくれているなどの条件をクリアしない限りありえないですね。
特にテレビシリーズでは基本的に画に頼れないのが現状です。テレビアニメの表現はどうしても記号論にならざるを得ないので微妙な芝居は セリフとそれを演ずる声優さんに頼るしかないんですよ。絵だけでそのキャラクターのわずかな感情の動きを表現するのは難しいですね。それまでの物語の積み重ね、音の表現などで総合的にやっていくのが現実的ですね。
僕は運良く スタッフに恵まれているので音もバランスで考えられる状況で良かったです。映像の場合でも音も同じくらい重要ですから【86】
(「庵野さんは作品を評価するうえで数字をどのように考えているのでしょうか」と聞かれて) 人の心を動かした作品って初回 オンエアで数字の悪かったものが後々になって人気が出た例がほとんどですから。宇宙戦艦ヤマトも機動戦士ガンダムも放映当時の数字は散々でした。
エヴァも数字だけなら放映当時は 成功とは言えないです。失敗とも言えないけど成功とも言えない。そうした数字です。
また平均視聴率というのが 曲者で正月に放送した回が極端に低かったためにその1回のせいで全体の平均視聴率がガタッと落ちているんです。お正月なんかにアニメを放送するからだよと思うんですけど(笑)あれがなければそんなに悪い数字はないはずですか【86】
でもそのリサーチ至上主義 もどうかなと。もちろん数字は高いに越したことはないですけどね。市場の指示というものは数字でしか目に見えないし経済的なものを出さないと世間では評価されませんからね。正直ないよりはあった方がいいですね。
数値が高いとそれだけ作る環境が良くなるし。次に作品を作れるかどうかにも 直結しますし。やっぱり当てないと制作予算も上がらないですからね【87】
エヴァをやっていた時のテーマのようなものに「作品にプライドを持つ」っていうのがあったんです。それだけは頑張ろうと褒めるにしてもけなすにしても、ですね。そこでエヴァという言葉を口に出した人が世間で恥ずかしい思いをしない作品にしたいという想いですね。
例えば 職場で「昨日のエヴァンゲリオンつまんなかったよね」という話をしていて知らない人に「何それ」と聞かれる。それで「今こういうアニメがある」と説明する。それで教えられた人が「そんなアニメがあるのならとちょっと見てみようかな」となった時に「なんだあんなものは」と思われないような作品にしたかったんです。
気に入るか気に入らないかは別としてやはり総じてアニメは基本的には子供っぽいというか 稚拙なものではあるんです。精神的に大人になっている人がアニメを見る必要を感じないと思いますから。
しかしと言いながらも世間に対してせめて一抹のプライドを持ちたいなと。「2万人のアニメファンはこれで喜んでくれればいい」だけではなくベクトルを少しでも外に向けたいということだけなんですけど。
しかし結果としては最後はアニメファンに受ける方向に行ってしまったので 結局自分もオタクだなと思いますが(笑)
まあ僕にしてもプライドを持ちたいというのは願望のようなものでしかないので本当にそれで世間に通用しているのかプライドを持てているのかと言うとちょっと自信はないですね【87】
(「庵野さん自身がヤマトやガンダムにエヴァンゲリオンは匹敵すると考えているのでしょうか?」と聞かれて)いや全然【87】
(「ではガンダムを100とするとエヴァンゲリオンはどれくらいのものなのでしょう?」と聞かれて)いやそれは 数値化するもんじゃないですよ。
ヤマトやガンダムとかに対する思い入れというか超えたいという気持ちは僕の中で今沈静化している気がします。一種「諦め」みたいなものかと。ヤマト、ガンダムにはこのままでは勝てないという思いですね。
あれに勝てるだけの何かを手に入れてからではないとあの時代の作品や人たちには勝てないと思うんです。これに関しては育った時代の状況という要素もあるのでそれはしょうがないことかもしれないですけど 【88】
あくまでも 僕自身の認識ですけど自分がかつてヤマトやガンダムなどを見た時に受けたのと同じような衝撃を今から感じるかと言うとまだ足りない気がします。今現在ということで比べれば もしかしたら 富野 さんより僕の方が面白い作品を作れるかもしれない。しかしガンダム、イデオンの時の富野さんにはまだまだ叶わないと思うんですよ【 88】
僕が初めて見た ロボットアニメは 鉄人28号 なんですけどそれが4歳の頃でした。それ以来子供の時から延々とロボットアニメを見続けてきた15年間という時間を経て 19歳の時に受けた衝撃がガンダムだったんです。
「あのロボットアニメ がこんなものにまでなっている」というこの衝撃は自分では超えられないんじゃないか。ファーストガンダム第1話の衝撃はそれほどのものでした。 G アーマーが出てこなきゃいけないというようなそれまでのロボットアニメの枷がまだまとわりついていながらもあの作品は「ここから新しいものをやるんだ」というエネルギーがすごかったんですよ。それまでのロボットアニメが蓄積してきたテーゼ に対するアンチテーゼやカウンターがガンダムにはものすごくあった。そこに感動したんです。
それに比べれば エヴァはまだまだ足りないですね。インパクトの度合いが違う気がします【88】
ヤマトもそうです。本放送は14歳の時でした。あの頃は自分も中学2年になっていて親や友達から「まだアニメ見てるの」「いい歳して漫画なんか見てないでいい加減卒業しなさい」と言われていました。まあそれもそうだなと思います。しかし中2の自分が友達に話して恥ずかしくない番組がヤマトだったんです。
最初は誰も見てなかったのに「猿の軍団見てないでこっち見ようよ」とか「ハイジ見てないでこっち見ようよ」と友達とか別のクラスの人にまで布教活動しましたね。ほとんど耳を傾けてくれる人はいなかったんですけどね。(笑)
SFや戦記物が好きだったんですけどそういう自分の好きな部分も満たしてくれたアニメがあれだったんです。中2の自分が見て恥ずかしくない「やっぱりアニメ見てていいんだ」と確信させてくれる番組でした。
ヤマトを中2の時に見ていなかったらその後もうアニメは見ていなかったでしょうね。今で言えば 「ハマる」って言うやつです。ヤマトの音声を録音するために親に英語の勉強したいと嘘をついてテレビチューナー付きのカセットデッキを買ってもらいましたでも小遣いがなくてテープは120分のが数本しかなかったんですよ。新しい回を録音する前に覚えてしまわなきゃいけないんですよ。毎日カセットを延々と聞いてセリフや音を覚えていました。あの頃はヤマトのセリフをほとんど空で言えました。【89】
そういう体験の記憶が自分の中に入り込んじゃっているんですよ。ヤマトやガンダムと違う面白さはエヴァにもあるとは思うんですけど 自分自身の認識としてはかつて14歳の時にヤマトを見た感動を超えるものは自分には作れないんじゃないか、19歳の時に子供の頃からずっとロボットアニメを見続けてきた自分がガンダムの第1話を見て受けた衝撃を自分では超えられないんじゃないか。自分の中にある記憶に勝つことができるかというとこれがすごく難しい気がするんです。超えたいという願望はありますけど 一方では自分ではできないという諦めもあります【90】
少なくとも今作るものが エヴァンゲリオンみたいなものにはならないと思います。テンパった切羽詰まったものにはならないで済むかもしれない。もうちょっと幸せなものがいいなと思います 【90】
( 漫画家の安野モヨコさんとご結婚なさいましたが作家同士で結婚することで相互作用なものが起こりませんでしたか?」と聞かれて)0ではないと思うんですけどやはり全然違う仕事ですから直接はないですね。
うちの奥さんは仕事を一人でやってしまうタイプなんでネームの相談を受けたりとかはないんですよ。だから意見を求められた時にだけ何か答えるくらいですね。仕事上は そんな感じです。ただ思想とか思考とかそういった 根本的な話とかはよくしてるのでそこらの影響は互いに出てると思います。 夫婦でプラスになっていけばいいなと思いますね。余裕のようなものは出てきたと思いますね。自分が生きている上で 常々 欲しいと思っているものは余裕なんですよ。それは増えたかと思います【90】
(「野望は燃え盛っていますか」と聞かれて) 野望は欲しいですよね。今の日本にも野望が足りない気がします。僕も野望が欲しいですけどね。【91】
(「富野監督は60歳を超えてなおルーカスやスピルバーグに勝つんだと野望を語っています」と言われて)野望とか野心があまりないんですよね。
面白い作品がこの先もいっぱい作れればいいやとかそのくらいですかね。そのためには予算とか時間とかがもっとたくさん欲しいですね。まあ単純に自分はルーカスやスピルバーグの映画を面白いと感じられないので憧れないんだと思いますけど【91】
(「なんだか日本の創作には何か良くない流れがある。しかしその一方で何か新しいものが生まれるんじゃないかという感覚も感じます」と言われて)世界というものは人のイメージが作るものだとなんとなく思います。だから変われという願いが満ちてくれば変わるんじゃないかとは感じます。でもそれも日本という狭い地域での感覚でしかないでしょうけど【91】
アニメ界の現状を変える作品を作る気はありませんがこの現状は 打破したいですね。それは常にわずかでも。 2003年3月【92】